東京・浅草 大黒家天麩羅

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天丼
大黒家といえば天丼。 ご飯が見えないくらい大きくどん ぶりからはみ出た海老天丼が人気です。 ごま油だけを使って、キツネ色に揚げた天ぷら。 ちょっと辛めで濃厚なタレは一度食べたら忘れられない 懐かしい味がします。
 大黒家天麩羅は明治二十年(1887)、浅草 伝法院通りに、そば屋としてはじまりました。現在の本店所在地と同じ伝法院通りは、人通りが多く、賑やかで繁盛してはいたものの、忙しい割には儲かりませんでした。でも天ぷらそばがたくさん出た日には売り上げが上がります。そこで明治の末にそば屋から天ぷら屋になりました。屋号が「大黒屋」から『大黒家』に変わり店主は四代目となった今も、昔の味をずっと守り続けています。

大黒家から 
私達の最も嬉しいことは、調理長をはじめとして長年にわたり仕事に励み、お客様に喜んでいただいていることです。天丼の大黒家は味と心を大切に、努力を続けてまいります。


浅草の天麩羅の歴史

大黒家 本店
 てんぷらについては、山東京伝が天麩羅の名をつけた説、家康が鯛のてんぷらを食べすぎて胃腸をこわして死んだ、ポルトガルの宣教師宅の台所で働いていた日本人によってポルトガル語のテンペロ(香辛料、油、調理の意)が油料理=てんぷらになった、等数々の言い伝えが残っています。
 いずれにしても天麩羅は、江戸の庶民の中から生まれた食べ物です。 安永年間、天麩羅は東京湾でとれた魚に衣をつけて油にくぐらせ、荷台の上で簡単な屋根をつけた屋台で売られていました。屋台では天つゆが大きなどんぶりに入れられ、これをお客が一緒に使って串に刺した天麩羅につけて食べました。「近世職人尽絵詞」では、二本ざしのお侍が手ぬぐいで顔を隠して天麩羅を食べている図や、立ち食いの天麩羅屋台に、天つゆや大根おろしが大きな器に並べられている光景が描かれています。
「夢想大黒銀」の挿絵にも天麩羅屋台の上に山と積まれた大根おろしと手前に天つゆの丼が置いてあり、カンテラの明かりを頼りに天麩羅をほおばるちょんまげ姿が描かれています。いってみれば天麩羅は、現代のファーストフードのように江戸浅草の町に登場したのです。
 明治になると、丼鉢にご飯を盛り、汁に浸した天麩羅を載せて食べる「天丼」が現れています。それは、天麩羅の残り物を利用して、蕎麦屋が考案したもののようです。明治二十年天丼は三銭、大正八年には二十五銭、昭和十二年では四十銭だったといいます。
 現在我が国の高齢者の好きな食べ物第一位は天麩羅、日本人の油の消費量もアメリカに次ぐといわれています。健康によい胡麻油、いかにも縁起のよさそうな海老、どれをってもやっぱり永く食べ続けたい浅草の天麩羅です。

浅草へいらっしゃいませんか


浅草は一年中、たくさんの行事でいっぱいです。 浅草寺の初詣にはじまって、満開の桜、初夏の三社祭、ほおずき市、隅田川の花火大会、秋から冬には東京時代まつり、酉の市、羽子板市といつも賑わっています。
 賑やかな仲見世を散策し 小路の店で一休み。 近くにあって懐かしい あなたの知らない下町があります。 お気軽に遊びにおいで下さい。 浅草ならではの小粋でおしゃれなお店がありますよ。 浅草の三十二の商店街もお待ちしています。